とにかく癒されたい
ウィズコロナとか、アフターコロナとか、半年前には想像すらしなかった新しい言葉が使われています。
” 自粛”が終わったと思ったら、”自衛”へと、言葉は都合よく変わり、もう何が正しいのやら、あやういのやらわからない。
感染症に対する行動基準があいまいだから、
これだったらOKだろう、やめておこうなど、
恐れながらも何らかの社会的規範からこぼれないよう、言葉をつつしみ、
皆、淡々と過ごしている気がします。
今までだったら当たり前だった事が当たり前でなくなった時、これまでがいかに恵まれた状況であったのかが分かります。
かといって、これまでの状況に感謝して有り難く生活をしよう、という気持ちにもなれない。
だって、慣れないこの生活にほとんどの人は「疲れている」だろうから。
こんな情勢に心が慣れてしまって、もう疲れているのかさえ分からない人もいるかもしれません。だから、まずはイライラしてるな、最近うまくいかないな…と思ったら、疲れのサインだと思っていい! と私は思います。
そしてこの疲れを取り除くためには、まずは心を観察する。
疲れていることに気づき、それを受け入れ、そこからどんどん、積極的な癒しや休憩を求めないと、壊れてしまう。
今までも自分自身のケアは必要だったでしょう。
でもこれからはもっと、他を、自分を守りながら、いかに繊細な心を持って、心を満たしてあげるかが大切ではないでしょうか。
私の場合は、ヨガ、花を生けること、本を読むこと、お灸をする事。
花については、自粛期間中はスーパーでも庭の花でも、とにかく見つけたら買ったり摘んだりして常に部屋に飾っていました。
制限がありつつ行動ができるようになった今でも、いつも花を置いている棚や玄関脇、庭に花が「がらんどう」になっていると、さみしく、そわそわした気持ちになります。
今日は枯れてしまったピンクのバラを別の花に更新し、ほっとやすらいでいます。
「花のある生活ってこんなに、幸せなのか」と思いながら、
満たされるって、自己肯定や社会的名誉、誰かから愛されることだけでなくて、
自分の行為によって気持ちの内側から、じんわりだったり、ムクムクだったり、
温かいものがあふれてくる事かもしれない、と思うことがあるのです。
ちょうどいいタイミングで、今日は千葉のアロマサロン「アロマリリー」さんから、セージのスワッグが届きました。
ツンとしたシャープさのあるセージの香りは、エネルギーの流れを整えると言われているそうです。アロマリリーの松下美香さんは千葉で活動するセラピストで、決してすぐ会えるわけではないけれど、この方のマッサージや選ぶ言葉、人柄に、自分は助けられているんだな、と思います。人と人とのつながりって、離れていても、不確かでも、包まれている温かさがある時、それを人は幸せと呼ぶのだなぁ、と思う。
インスタグラムでメッセージを送ったら、すぐに返信をくれた、人の縁を大切にするとても素敵な女性。いつ感染症を気にせず出かけられる日が来るかわからないけれど、またぜったい会いたい人だな、と思う。
ヨガの方は、これまで唯一といっていいほどストレス発散かつ生きがいだったスタジオが、アーサナ中もマスク着用が求められるようになりました。
それが本来のヨガと比べて心地いいかといったら、いいわけがないわけで、
それでも受け入れるしかない。
熱中症にはならないよう自己調整はするけれど、大好きだったヨガスタジオで、我慢が必要になったんだな、と思うとちょっぴり切ないです。
ヨガの在り方に求めている癒しがないからこそ、代用として花を生けることに夢中なのかもしれません。花以外にも、仕事に関係ない書籍や小説、詩集などの本に没頭するようになり、お風呂は肌に優しい入浴剤でゆっくり入る…etc。
自分が好きだ思えるものをできるだけ周りに用意して、なにかあっても選択肢が持てる余裕を持っていたい。
そんな心構えが必要な時代なのかもしれません。
「新しい日常」なんて、経済中心の世の中が生み出した都合のいい言葉のように聞こえます。命や健康、安心や安全が遠くに感じられるこの言葉に抵抗があります。どうしようもない事もあるけれど、世の中は少しずつでも、自分や人の命や心を大切にする方向に向いてほしいし、私はその方へ歩いていこうと思います。
皆さんの日々はいかがですか。
今日も、明日も、大切な誰かと幸せな日常が過ごせますように。
Thanks for reading.
Thanks for reading.