yumikonoaroma’s diary

ライター。アロマテラピーアドバイザー、ハーバルセラピスト。日常で感じるハーブやアロマテラピー、たまにヨガについて♡

内包しているエネルギーを感じる

ヨガを始めて、かれこれ9年ほど経ちました。先日ブログを書いた通り、ヨガインストラクターの資格(RYT200)を取りに行くことを決断し、無事、修了しました!

レーニングを修了してみて、心と体がどう変わったのか、それから変わった自分について

思考を巡らせています。

 

ヨガの資格といっても人によってピンきりで、アーサナ(ヨガのポーズ)を深めたいから参加した人、ヨガについてもっと学びたい人、ヨガの先生になりたい人、すでに教えているが改めて勉強をしたい人、と私の同期の目的もそれぞれ。また、もともとヨガを始める以前の人生観や、ヨガを続けている過程で感じることも違うので、ヨガの資格を得たからといって、「こう変わる!」とは断言できません。

 

ですので、あくまでここから書くことは、個人的体験、と捉えていただけると幸いです。

 

ヨガの資格を取得して(正確にはTTまたはティーチャートレーニングコースを受けて)、どう変わったのか? その結論から言うと、数カ月のヨガ漬けの日々を送る前の過去の自分がどうだったのか、覚えていないのです。

 

おい! っと突っ込みたくなるところですが、現在の自分があまりに自然体であって、それまでの自分が変わったのか、それとももともとそうであって実は気が付いていなかっただけなのか、というくらい微細な変化なわけで。

ただ顕かに、気持ちは穏やかで、心がざわついても、それに気が付けばすぐに流せる方法が分かるようになりました。 

簡単に言うと、どんな時も、その感情や、情景を、どこか冷静に見て、必要な時には必要なブレーキをかけるようになったのかもしれません。

 

そのような中、今現在のキーワードは、「自分の中の内包しているものを感じる」ということ。

 

これはヨガスクール代表の先生が哲学の授業で語ってくれたエピソード。

もともと海好きな先生は、ある日自分のグルの前で思わず「ああ、海に行きたいなあ」とつぶやいたそう(おそらくヨガの修行の場で、そのような時間を与えられない時期だったのかもしれません)。

その時グルは、こうおっしゃったそうです。

「海に行きたいと思うのは、水のエネルギーそのものが、あなたの心の中に内包していることでもある。だから大丈夫だ」と。先生がおっしゃた内容からの私なりの解釈や記憶はこのようなもので、もしかしたら、先生はもう少し違う意味を含んでいたかもしれません。

具体的な“内包”については、頭の中に疑問符として残ったまま当時は時が過ぎました。

 

TTが修了し、生徒としてまたヨガのレギュラークラスに参加する毎日が始まった時のこと。試験のプレッシャーからも解放され、T先生(尊敬する恩師の一人)の丁寧なリードに身を任せながら、体も心も心地よくなり、ふと聞こえたのは、スタジオの外からバタバタ、もしくはハタハタ、と聞こえる激しい雨や風の音。その瞬間に、初めて自分の意識の中に、雨や風が、自然の『水』や『空気』そのものであるということを知りました。

 

以前は、雨の音を聞くと、「帰るのが面倒だな」「濡れるのがいやだ」「洗濯物が乾かない」など、自分の状況に照らし合わせた感情ばかりが動いて、雨が嫌いになっていました。

でもこの瞬間は、なぜか、雨と風の音に、ただ耳を澄ませていたのです。

 

その後も台風は何回も訪れて、その度に、車の運転が面倒だとか、よこしまな思いのもうひとつに、雨がただふっている情景や雨の雫が太かったりか細かったりを見て、音を感じて、とただ雨をぼんやり眺めていました。娘と「今日はよく降るね」と話す日常。それは当たり前なのに、目の前の雨という自然と向き合えているようでした。

 

また、別の日には、瞑想のクラスを受講した時に、ふと、海と波の情景が瞼の裏に浮かんだりしました。見たこともない、景色でもない、ただ水と波であるという認識が自分の中にあるだけ。

 

こんな小さな体験が次第に、「私は海が見たいんだなー」という思いにつながるようになりました。

 

さいころ水泳教室に通っていた影響で、物おじせずに海やプールに飛び込んだ思い出。いつの間にか、海が見たい、泳ぎたいという感性は消え、それは3月11日の震災を機に、海からさらに心が遠ざかっていました。子供たちとはプールや海に行きましたが、どちらかというと、子供のためであり、自分が求めている、という感覚はもうないのだと思っていました。

 

今日は郵便ポストに手紙を出しに行くがてら、ぶらぶらと近所の住宅街を歩きました。駅からほど遠く、緑と一戸建て住宅が並ぶ、とてものんびりした町。遠くにぼんやり見える木々や、雨上がりの湿った空気を感じながら、自分は今も、自然に囲まれて生きていることを感じ、そして、ああ、海が見たい、とまた思いを馳せるのです。

そろそろまた、仕事で忙しくなるかもしれない。子供たちの学校の行事の合間に、海を見に電車に乗って出かけるかは、定かではありませんが。

 

静かな静かな、心の変化。ヨガのポーズの感覚が変わったとか、哲学を通して心の有り様が変わったとか、筋肉の名称やその動きが気になるとか(笑)いろいろあります。ただ自然や、それを内包するという感覚は、自分にとっては予想外の経験です。これは、私のヨガスクールの先生達から教授を受けたからこそ、感じることができたことだと思っています。

代表の先生は、遠方にお住まいなので、いつもお会いできるわけではありません。しかしそんな偉大な力を内に秘めた方とまたヨガを教わる機会があること、またヨガスクールにいつもいてくれる守り神のような先生方に、敬意と感謝の意を感じながら、今日は眠ろうと思います。

 

写真は主人の実家の帰りによく寄る海岸です。いつも子供たちが海に行きたがり、主人が張り切って海岸まで娘と私を連れていきます。だんだんつられて私も裸足になり、娘と同じように砂の上を歩きます。その瞬間はとても愛おしいのです。

自分の中に閉じ込めていた海への思いが、雨という季節のおかげで、再び現れたのは、とても不思議です。

それではまた。

 

f:id:yumikonoaroma:20181002233530j:image
f:id:yumikonoaroma:20181002233528j:image

 

追記:

次の日ブログを見直したら、なんておセンチな気分で書いてるんだろう、と思いましたが、それでもこんな手記にポチりして下さる方に有り難さを感じました。

朝目が覚めて、やはり行こうと、電車を乗り継ぎ鵠沼海岸まで来ました。 

来て良かった♡

自分のさまざまな思いが浄化されました。

 

ドードードーと波打つ音を聴いて、楽しそうに波に乗るサーファーを見て、山を見て、

私はこのままでいいんだ、と、

自己を見つめつつ、自己を捨ててきました。

自然を目の前にすると、どんな言葉も行数を埋めるものに感じてしまう。

今はそれでもきっといい🌟

f:id:yumikonoaroma:20181003142918j:image

f:id:yumikonoaroma:20181003142922j:image

 

f:id:yumikonoaroma:20181003142951j:image