yumikonoaroma’s diary

ライター。アロマテラピーアドバイザー、ハーバルセラピスト。日常で感じるハーブやアロマテラピー、たまにヨガについて♡

ヨガとインタビューという仕事

昨日、久しぶりにアシュタンガヨガのクラスに参加しました。アシュタンガヨガは、私がヨガを始めるきっかけになったヨガであり、今でも割と好きな流派であります。アシュタンガは、ポーズに明確な順番があり、体の動きもダイナミックなためか、呼吸もほかのヨガよりも深く長いような気がします(吸うときは胸いっぱいに横隔膜に空気を入れ、出す時は、のど元からダースベーダ―のような音を立てて、深―く長く吐きます)。

 

ヨガを始めて数年立った時、師事していた先生は、兼業していたモデル兼演劇の仕事に集中したいとのことで、クラスは終わりになりました。もともと、「子連れでOKヨガ」という名前で、地元のママであるTさんが主宰してくれたサークル。今後も私たち生徒が(子連れでも)ヨガを続ける環境がなくなるのは困るだろうということで、Tさんは、地元で通えるヨガの先生を紹介してくれました。一部は紹介してくれた先生に流れ、一部はヨガを離れていきました。

 

私は紹介していただいた先生がハタヨガベースのヨガでしたので、先生のご指導を受けていました。が、アシュタンガを続けたいという思いもあり、ある有名なアシュタンガヨガスクールに。そこで、〝本物の伝統的なアシュタンガ〟に出会うことになり…。

 

クラスはサンスクリット語、周りの生徒さんのレベルがあまりにも高く、初めて、アシュタンガヨガのハードルの高さを感じました。クラスが遠方なことやいろいろな方のご意見もあり、とりあえずアシュタンガは封印。現在もヨガは続けていますが、肉体的なヨガよりも、

体をじっくり丁寧に動かしたり、瞑想をしたりと、穏やかさを重要視するようになりました。

 

 

そんな中、お仕事でアシュタンガヨガの女性を取材する仕事をいただきました。一度手放してしまったアシュタンガ。日ごろから、私はなるべく、インタビューをする方に気持ちが同調できるように、その方のヨガを事前に習いに行ったり、勉強を深めるようにしています。今回も自分の地域から通えるアシュタンガクラスに通い、ときにYou tube動画で練習をして、インタビューに挑みました。

 

が、インタビューした女性には申し訳ないほど、自分が勉強不足であることを感じました。

アシュタンガには、呼吸、ポーズの順番、目線(ドリシティ)を守ること。また、呼吸は胸式呼吸をするなど、他のヨガよりも「規則」のようなものがはっきりしています。

基本は分かっていたつもりなのですが、敢えて変化球の質問をしてみたら、「絶対にそんなことはしない! だってアシュタンガヨガのシステムは守るもの」というご意見をいただき、そうか、この流派の方の気持ちを乱すようなことを言ってはいけないのだな、と痛感しました。

 

また勉強になったのは、アシュタンガヨガは、ムーンデー(満月と新月)、生理3日間は練習をしない。(アシュタンガヨガのシステムでは、女性は生理中、練習を休む。もしくは逆転のポーズはしないのが原則。ただし逆転がNGなのは、健康上の理由もあって、他の流派でも避けるように言われています)。これには月のリズムと人間の体の関係があるようですが、他のヨガでは、ムーンデーの考え方はあまり聞いたことはありません。

 

ほかにも、ヨガ的食事、人間関係など、全てがヨガを中心に周っていらっしゃる方でした。彼女が経験されてきたことも含め、そこまでアシュタンガシステムに敬意を払い、継続できる理由もわかる気がしました。

ただし、自分ができるかどうか、もしくは他人に勧めるかは、「あなたに合っていて、あなたに必要ならば」。

 

人には人それぞれの人生があり、ヨガをしていても、100人いれば100人のヨガ的人生があるのだろうと。

 

インタビューでは、毎回、相手の方が好きになります(男女問わず)。だからこそ情熱を込めて記事が書けるのですが、最近は、なぜか、いろんな方を斜めから見るようになってしまいました。もちろん、記事は冷静さをもち、事実に反することなく、そして楽しく読んでいただけるように書くのが使命です。

 

しかし、10年近く続けていて思うのは、仕事を続けるというのは、続ければ続けるほど、プロフェショナルに近づくのではなく、時に自分の未熟さやもどかしさを感じ、業界や相手の悪いところも見えてしまうものなのかもしれない、ということ。

こんなことを書いてすごく裏切るようになるかもしれませんが、何かを続けていて、結局、本当の意味で「楽になること」ってない気がするのです。

良いことが訪れると同時に、嫌なことって存在するのだな、と。

 

ヨガも同様で、ヨガで心と体が変化した喜びを感じるのに、続けていくうちに、ヨガの教訓(智慧)に縛られて、ヨガ的でない自分=こうでなくてはいけない自分、に苦しむことがあるのも事実。

人の数だけ、人生がある。ヨガをする人の数だけ、ヨガ的人生がある。

常に完璧でいるのは難しいし、完璧を求めていて今、苦しいんだな、ってわかる。

それだけでもいいのかな、って、答えがないようでこれが答えのような気がします。

 

辛くてもこの仕事を辞めなくて良かったことも、もちろんあります。苦手と思っていた人に敬意を払えるようになったり、こんな風に仕事を続けさせてもらっていることに、ありがたいと思えるようになりました。

 

今、生理で悩んでいて、カモミールティーに頼っています。イライラしそうでも、カモミールのような鎮静系のハーブティーは私を助けてくれます。

実は、この痛みがあるまでは、少しハーブから離れていました。良さがわからなくなっていたような。

 

今はヨガにどっぷりはまりすぎて、疲れているのかもしれません。

知識も経験も追いつかず、焦ってばかり。だからこそ、今、ハーブにうんと助けられています。

 

ハーブとヨガがシーソーのように、良い具合にもそうでない方向にも働いたりする。飽きることがない人がいるのかもしれませんが、私は飽きるタイプのよう…。

で、大体、戻ってきます。理由はちょっとわからないけれど、自分の原点のような、よりどころのような存在なのかもしれません。

彼氏や旦那がいやになっても、やはりあなたしかいない、という感じでしょうか…。

 

人生に答えってない。というより、そこに気づけたことが良いこと、と思いたい、今日この頃です。

 

みなさん、素敵な春をお過ごしください。