死んだら何も持っていけない
そろそろ今年も終わりですね。
今年は、私にとって新しい仕事に挑戦したり、新しい方との関わりがありました。これまで以上に自分の価値観が変わっていったり、
また「これまで」と「これから」について考える年でもありました。
新しい仕事については、クライアントのやり方や考え方に付いていけず、ストレスを溜める事が多くありました。その中で、どうやって自分の仕事の生産性を上げ、効率良く仕事をこなせるか、同じ職種の方のブログや書籍を探っては、ヒントにしていました。
いくつかの本やブログを見て、心の中で「ん?」というモヤモヤがあり、
それはそういう考え方なのだろう、
と受容していたのですが、
改めて、これ、違うよねぇという、確信?
があり、今回はそのお話し。
それは
「こういうやつはうまくいく、こういうやつはだからダメなんだ→私はこういうやつとは違う、成功者=仕事に成功、という結論に至る人」。
文章の表現には、不快させるような言葉ないのですが、他人の失敗を例に出し、自分は決してその類には入らないのだ、という思考のあり方が垣間見れました。
これが私の、「ん?」の正体。
成功者、と思われる方は、確かに理に適った正論を語っているし、仕事のあるべき姿を体現している優秀な方のようです。社内あるいはビジネスパートナーとの関係も良好なよう。
でもね、
「ダメ」な人にもいい面はあるんですよ。
失敗して転んでも、必死に生きてるんです。
きっとその失敗の後にはその悔しさを糧に努力したり、ある意味、そこから自分の進みべき道を見い出したかもしれない。
だから、この私はこうして成功した論は、ある意味、
相手を屈辱しているし、
そんな事さえ気付けず、
私はデキる人論は、悲しいと思います。
死んだら何も持っていけないんですよ。
会社で成功しても、お金をたくさん稼げても、
体が滅びたら、残るのは魂やあなたのエネルギーだけ。
それより、周囲の人やものごとに毎日感謝して、「嫌な奴だった人」だったけど、そのおかげで逆境を乗り越える機会をもらった、
という解釈をして生きていける方がいいと思います。
世の中には沢山の自己啓発本などありますが、良書は決して他人をけなすことはしません。
私も仕事のやり方でたどり着いたのは、
「いいと思った人を参考にする、またはその方の文章を写経して、文章力をあげる」
というシンプルなものだけでした。
悪い人の例も、私はすごいでしょ?
という考えもいらないですよね。
私が本当に尊敬するのは、実は過去に挫折を経験し、失敗し、時には誰かに罵倒されても、他人を恨まず、
「今、ここ」の自分に軸を置いてる人。
そうは言っても、今年は
忙し過ぎ、その中で傷つく事を言われ、泣いたり怒ったりしたこともありました。
来年は、自分のこれからについて、軸を据えて考え、実行にうつしていきたいと考えています。
特に年末は瞑想もヨガも、毎日続ける余裕がないほど多忙でしたが、
それは自分の望む生き方ではないな、
と感じています。
そして除夜の鐘がもうすぐ鳴る~。
煩悩を消す数の108と同じくらいの太陽礼拝をしたいですが、疲れすぎて、今はできません。
でも支えてくれた家族にありがとうとこれからもよろしくを伝えて、紅白歌合戦を観たいと思います! ←結局、オチはそこ。良い年をお迎えください。
仕事で疲れ果てた末、入ったカフェで飲んだレモングラス。
味は普通でしたが、穏やかな雰囲気のカフェで少し癒されました。
ではでは。